ゆりっかさんのエッセイ:「今日わ」
先日、仕事中のチャットのやりとりで、先輩が「でわこのままの状態で行きたいと思います。」と送っていた。
私は中学生のころ、2種類の字を巧みに使い分けていた。「字、綺麗だね」と言ってもらえるような大人っぽい文字。そして、もう一つは、平成を代表するような、ギャル文字だ。これは友達へ手紙を書く時、プリクラに落書きをする時だけ発動する。頭で考えなくても、「こんにちは」は「こんにちわ」に、「今日は」は「今日わ」に自動変換される。
親からも先生からも、字が綺麗だと褒められていたため、大人っぽい文字には誇りを持って生きていた。だが、中学生の頃は、やはり、イケているギャル文字が何よりも輝いて見えた。
ある時から、私は毎日学校に提出する”生活ノート”も、ギャル文字で書き始めた。いつ友達にみられても、一番イケている状態でいたかったからだ。
ギャル文字を発動させている時は、最高に反抗的で無敵モードだ。学校への提出物は綺麗な文字で書くべきだと頭ではわかっていたが、どうしてもギャル文字を使いたい。そして、生活ノートは徐々に文章も崩れ始めた。最高にイケてる。
そして、ついに、やってしまった。
ある日の生活ノートの書き出しを「今日わ」にしてしまったのだ。
当然、先生からは赤ペンで修正され、ちくっとした一言を添えられる。ダメだと分かっていながら、あえてギャル文字を選んでいたのに、こんなミスをしてしまうとは。恥ずかしくて仕方ない。もう二度とギャル文字は使わない。私はこの日をもってギャル文字を卒業した。
30代になった今でも、たまにギャル文字を貫き通している人に出会うと、ちょっと嬉しくなる。自分との葛藤にも打ち勝ち、私のような挫折を味わずに生きてこれたのだ。最高にイケてる。
大人は綺麗な字を書くのは当然だと思っていたし、なんなら大人になれば自然と綺麗になると思っていたが、そうではなかった。
挫折を経験しなければ、私も、今でも最高にイケてるギャル文字を続けていたかもしれない。
ちなみに、「でわ」と送っていた先輩は、ギャル文字ではない。そして、チャットでの打ち間違いは1度ではなかった。外部の人にも「でわ」と送っていた。
先輩にも、赤ペンを入れてくれる先生が現れることを、私は願っている。


